「あ、ここ。」 彼女の指差す先には、一本の樹があった。 敷地を取り囲む林の中でも一際大きな樹木が何かの象徴のように佇んでいる。 それともその樹を基点に林は作られたのかもしれない。 上を見ても幾重にも重なった葉に邪魔されて隙間すら無く、全体を闇が支配している。 それほどまでに圧倒的な光景であった。 「スゴイ枝と葉でしょ?その枝の下から夜景が見えるって・・・行こう。」 自ら枝をかきわけようとする彼女を遮り、彼の腕が伸びた。 代わって枝を押さえつけて彼女が通れる程の空間を作る。 「これで通れるか?」 彼らはこんな仕草ひとつとっても恋人同志だった。 彼女はそんな頼れる男になった彼を嬉しく思い、素直に返事をする。 「・・はい。」 彼女の背中を見送ると彼もそこを抜けた。 と、とたんに広がる光景に彼は息を呑んだ。 街が、灯りがきらめいている。 様々な色の宝石が暗い夜空を背景に瞬き、次々に色を変えてゆく。 空もつられて色を変えた。 大小の光は月の明かりにもその輝きを誇示して誇らしげに手を広げる。 もやひとつ無い空は優しくその手を掴み、あやすように包む。 その光景に彼はめまいのような感覚まで感じた。 確かに、昼は市場や食堂で人々がざわめき、夜は夜で酒場では男女が熱く語り合っている賑わっていて活気のある街であった。 だがここから見えるそこは明らかに別な顔を持っており、彼を魅了した。 だが、彼は同時に不安も覚えた。 その光はまるで彼女の微笑で、そして彼は彼女の輝きをただ遠く天空から眺めている小さな存在でしかなく、 きらめく笑顔を覗きに行っても良いものかどうか迷っている雲ではないのか? 思わず自分の左腕の感覚を確かめる。 そこに彼女はいた。 少しうつむいた彼女の顔を覗き込む。 「街が・・・綺麗だな。」 「綺麗・・・。星の海みたい。」 だが彼女は街の光よりも美しかったかもしれない。 月とネオンの灯りの双方を受けて女は一層その輝きを増していた。 女神だ。 彼は思った。 その姿は見たことなかったが、彼にも何となくそのイメージはわかった。 美の象徴。それが女の形を借りてこの世に現れたという。 彼女はそれ程に美しかった。 彼にはその肉体が人工的に造られたものであるということは分かっていたが、光に見とれる瞳の揺らめきや彼にもたれた首の感じ、 微かに開かれた唇の呼吸の度の動きの艶やかさは、それも作られたものなのであろうか? では、この温かさは? 甘い眼差しは? それは彼女にしか作り出せない芸術であろう。 肉体から溢れ出る、感情の渦に潜むこの誘惑は。 彼女は人によって形造られた肉体を飛び越えて自らの美を作り、絶対的な味方にしてしまっていたのだ。 誰が彼女を蔑もう? この美の化身の女がどんな生き方を強いられようと、それは望んだことではない。 現に彼女はこんなにも力強く自らを運命から解き放ち、進もうとしているではないか! 男はぼんやりと思った。 常に彼は、自分の為に彼女の世界が壊れてしまうような気がしていた。 愛することに馴れていないこの青年は日々、その壁を意識しすぎて自分をあまりにも遠い世界に追いやってしまっていた。 そして彼はただ見ている。 愛を込めた目で見つめるだけで精一杯だった。 彼女の微笑みや眼差しは余りにも愛しすぎて。 その差し出される手や彼を迎い入れる柔らかくて優しい胸は彼に何か絶対的なものをイメージさせたが、それが何なのかは分からなかった。 ただ、それが欲しくてたまらないということには気がついていたのだが。 彼女の愛が手元にあるということが彼にとっては夢物語で、非現実の入り口である。 自分が愛されるなど。 そもそも愛するとは何だ? 彼の毎日は心臓が掴まれるようなキツさに耐え、ただひたすら彼女を追う日々だった。 彼にとってはあまりにも近くて遠い女神。それが、彼女だ。 |
少し場所が進みましたね。
ここで物語が展開します。
・・・長すぎですんません(^_^;)
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