「ねえ、座らない?」 そんな物思いは彼女の言葉によって開放されて、彼は現実世界に戻る。 そうだ。彼女を立たせたままで、自分は。 彼は男としての後悔に苛まれながら返事をした。 「気がつかなかった・・・すまない。」 だがそんな距離を感じている男に対して女はいとも簡単に笑顔で彼を引き寄せた。 「はい、座って。」 そして彼女はそう言うと、あらかじめ持ってきておいた上着を草の上に敷いた。 「病人だってことになってるから、一応ね。」 彼女はそう言ってこの蒸し暑い夜にこんなものを肩にかけていたのである。 草色の上着は、彼のものを彼女が着るようになったものであった。 ベッドから出た後に部屋で着るにはこんな服が丁度良く、彼女には長い丈の服になる。 二人が腰をかけるとそれはあまり余裕も無く、愛もあり自然と二人はぴったりと寄りそう形になった。 彼女は何も言わずに下界のネオンを見つめる。 彼の肩にもたれかかった彼女の吐息が小さく聞こえ、柔らかい髪が彼の首にあたる。 彼は気がつくとその髪を弄んでいた。それがクセなのだ。 そして反対の腕で彼は彼女の肩を抱いた。 だがそうしてまでも、彼女との距離が変わるわけではないのだ。 彼女の香りがする。 今夜何度もくちづけをした頬がそこにある。 だが、女はいくつの顔を持つのであろうか? 今の彼女には、先ほどまで彼の腕の中で甘えた声を出し、引き締まった腿で彼を締め上げた力強い女の匂いは感じられずにいた。 今の彼女は夜の悪戯な光が男を惑わす為に生み出した幻想のように、ひっそりとし、同時に夜そのもののようでもあった。 |