**maniac+complex**
VOTOMS WONDERLND
「装甲騎兵ボトムズ
俺的図書館」
オリジナル小説
「月光」
P8
「何もいらない・・・何も。」 それはまことに穏やかな笑みであった。彼の痛みは消える。 「いいの・・・もう貰ったから。」 「何を?」 今度は彼は面食らう番だった。 彼には何処の記憶をひっくり返してもそんな大切な物など物を贈った記憶などなかったのだ。 「あそこで買ったものか?そんなものが・・・。」 「違うの、ほら・・・。」 男の困惑を遮って女は、自身の手を上げてみせた。 「これ、くれたでしょ?前に。」 それは細い指輪だった。 何の変哲もなく模様も無いただのリング。 二人の生活が始まった時に街で彼女が心を奪われているのを見て買った安物である。 見る目の無い彼が見ても別段女の喜びそうな代物では無い。 それがどうかしたのか。 彼が尋ねようとした時、女は先に口を開いた。 「大切にするから。」 それは何かの宣言のようであった。女の口調は力強い。 「ずっと、ずっと大切に・・・ありがとう。」 その言葉は遠い日の記憶を探りあてているような浮遊感に溢れていて、そのまま彼にあの日の彼女を思い出させた。 あの日、彼女に促されるままにそれを指にはめると彼女は急に泣き出した。 それは彼が見たことも無いような激しさで、彼は慌てて彼女と路地裏の暗がりに逃げ込むことになる。 そして彼女はずっとそこで泣いていた。 訳も言わず、ただずっと彼の腕の中で。 ようやくその涙が弱くなった後、彼女は小さく「愛してる」と呟いた。 何度も彼の名前を呼んで、愛していると。 彼もそれに倣った。 互いの愛の言葉はやがて近づき、音の無い囁きとなって彼らの唇は重ねられた。 彼はリングが首に触れる度に思い出す。 その冷たさは今でも同じだ。 熱い指の隙間に一筋、冷たい刺激を感じたのだ。 涙の流れる彼女の頬に何度もくちづけし、震える唇を温めたあの時のことを。 そうだ。 灯りの大きさは全く違うが、その後に窓から眺めた景色も丁度こんな風だった。 ネオンの光に祝福されたあの愛の交歓を、彼は忘れない。 何度も彼女に求められるまま彼は繰り返し、男は彼女の愛と、彼を締め付ける力に溺れた。 そしてその日の彼女はその豊かな唇と温かい舌で、彼の指を隅々まで丁寧に愛でた。 まるでその行為で何かを確かめるように。 彼は全ての指に目に見えないリングがはめられたかのような錯覚に陥り、彼女にも同じように愛を込めて返した。 彼らは互いの虜だった。 それが一時の感情でも、何かによって植え付けられたもので無い事は既に明らかだったが、 肉体を通じる事によってその甘い感覚はさらに互いの体に浸透する。 まだ余り知らない互いの体を探る度に、2人には新しい発見をした。 微かな指の動きや吐息での愛撫でさえ彼らの体には明らかな結果を生み、さらに強く手足を絡み合わせる。 髪を撫ぜ、名を呼び、時にはその囁きを塞いで、彼らの動きは続いた。 そんな意味で、2人は同じだった。 ひたすらに今まで叶わなかった願いを叶え、感じあう2人は、もう他人ではない。 誓い合って赦しあった一組みの男と女として同じ時を共有していた。 ただ。 ただひとつ、彼らの間で違うことといえば。 それは、彼女の薬指には本当にリングがあったことだった。 (←第9話へ続く) |