maniac+complex
VOTOMS WONDERLAND
ボトムズ・ワンダーランド
**NOVEL**
「月光 第10話(旅の途中)」
(←前章から続く) 夜。 豊かな土が植物を豊かにするように豊かな環境は人々を豊かにするとしたら、ここは荒れた岩が人々をゴワつかせているに違いない。 堅い大地に立つ建物はどれも無骨で文化の香りもせず、くすんだ色で地面と一体化していた。 そうすると、ロクに草も育たない土地に住む彼らは人間は植物よりも適合力があるかもしれない。 憂鬱な曇り空が支配するこの地方は、常に人々の気持ちをも暗くしていた。 乾いた地面を強い風が吹き抜けて、砂を飛ばす。 だが、それでも夜になればビルに住みついた街の住人が灯す明かりで路地は照らされ、街は少しは街らしくなる。 盛り場のネオンがきらめき客引きが声を上げ、商売女が卑猥な服装で道端から客を探しているそこは、危険ながらも間違い無く人々が集まる「街」である。 そして、そこから1歩入ったところにも街はあった。 猥雑な路地にあるそこは、全く違う街だった。 そこら中にころがった何かの機械や部品、ゴミ、そしてそれを漁る浮浪者達や闇の売人が作る街。 夜は彼らの格好の稼ぎ時であり、窓から洩れる薄明かりさえもほとんど届かない暗がりの中で俄かに活気付くのである。 そんな中、一角で騒動が起こったようだ。 「何しやがるんだ、この野郎!!」 若い男の声だった。 下品な大声をあげるその男は、すぐさま隣のこれまた若い男に向かって拳をあげる。 だが、その男の言葉は次の瞬間から聞き取れないものとなる。 「・・・ぐっ!」 殴りかかった相手、どうやら同じものを漁っていた相手に顔を殴られ、倒れこむ。 「・・・。」 相手はそれを見て立ち去ろうとするが、男も黙ってはいなかった。 立ちあがろうとした男に向かって倒れた男が蹴りを入れ、そこから乱闘の始まりである。 見たところ二人はどちらも若い男で、腕っ節も良さそうだ。 だが形勢は片方に不利だった。 ひどく泥酔しているその男は、腕は良いのだろうがアルコールで多少足元がふらついていた。 そして次第に浴びる拳の数が増し、とうとう手にした酒瓶を手放して地面に倒れて動かなくなった。 「初めからよこせばいいんだよ!」 勝利した男は勝ち誇ったように酒を飲み干し、元々飲み残しだったビンはすぐさま空になった。 「これでも飲んでな!」 捨てセリフと共に地面に倒れる男に空のビン投げつけ、もう用は無いとでも言いたげにその場を立ち去る。 倒れた男は動かない。 そこには負けた男が残った。 使える土地が少ないこの街には、古アパートの部屋をさらに棚で区切って簡易的な空間を作った通称「棚」と呼ばれるものが多数あった。 棚の作ってある大きな部屋は昼間でさえも光は全く届かず、人々は暗闇に目を慣らしてから動く事になる。 ここは世界の中に存在する、光に祝福されない場所だ。 その中の、窓からは30センチ隣のビルの壁しか見えないような最下層の棚ビルのドアが開き、小さな棚の小さな扉から一人の男が家へ入り込む。 うす汚れた上着を脱ぐと、男は自分で取り付けたバッテリー付きの照明を付けた。 明かりに照らされて男の顔が見える。 その目は青い。 青いその目は、以前はどうだったかは分からないが、今は窪みの奥で鈍く光を放つだけの物体だった。 先ほどの乱闘で切れた唇からは血が出てひどく殴られた頬は張れあがっていたが、それを拭う気もないらしい。 この男には、そんな事はどうでもいいのだった。 「よう、早いお帰りじゃねえか」 男の帰宅に気づいた隣の男が部屋を覗き込みながら冷やかす。 「その様子じゃあ今日は収穫無しかよ。」 だが男は答える気もなさそうに隣人を一瞥すると、そのまま背を向けて横になった。 「やれやれ、挨拶も出来ないのかねぇ。生活荒むと心もすさむ、ってか。」 愚痴でも話そうとしていたような隣人だったが、諦めて首を引っ込めた。 しばらくして隣人が去ったのを見た男は、袋から酒瓶を取り出す。 それも飲み残しらしく、ラベルが剥がれて薄汚れていた。 だがそんなことを気にする事もなく、男は一気に飲み干した。 一瞬だった。 一瞬の為に、毎日彼は時間を費やす。 だが、彼にとってそれはある種の生きる糧であった。 酒が無いと眠れない。 正確に言うと、眠れてしまうのだ。 夢を見る程に。 その夢で、彼はいつも彼女と一緒だった。 ある日は幸福な二人。 ある日は少し気まずい二人。 だが、夢の内容のほとんどは決まっていた。 彼に運命を告げた時の彼女。 そして、最期の瞬間の彼女。 笑顔であっても、それは笑顔ではない。 俺にどうしろというのだ? 彼はいつも問いかけていた。 が、彼女は優しく微笑むだけなのだ。 そして、目が覚める。 隣には誰もいない。 そんな日々を経た今、男は夢をみない。 それどころか、生きてさえいない。 彼は分かったのだ。 彼の命は置いてきたのだ。 あの日、あの棺の中に、彼女と一緒に。 彼女が心を止めたのなら、彼も止めよう。 彼は決めたのだ。 かまわない。元々、そうなる筈だったのだから。 男は、それでもぼんやり思った。 今日も何も収穫が無かった。 だが確かにこの街で情報が手に入る筈だ。明日はまた金を稼ぎに賭博場へ行かなくては。 ・・・傷?そんなものはどうでもいい。どうせ明日目覚める頃にはすっかり良くなっているのだから・・。 安酒だったが、眠りにつくには十分だ。 男は眠る時にいつもするように、胸元に手を当てる。 常に彼が身につけているその物体が光る。 その信号は、惑星の軌道を廻る彼の全てであり、そして彼の愛する者が眠る空間の安否を確かめるものだった。 彼の目に光が映る。 その時、その目はただの窪みから人間の瞳になったように見えた。 「・・・・。」 男の口が動いたような気がした。 が、気のせいかもしれない。 ここ数日声を出していない事など、彼は全く気がついていなかった。 そのまま男は眠りにつく。 翌日。 今日もこの街は雲に覆われていた。 路地は相変わらず昼なのに薄暗く、そこら中に人間がごろごろと転がっていた。 そこに現れた青い目の男は、さすがにシャワーで昨晩の傷跡を洗い流したのかこざっぱりとしている。 そして予想通り傷跡は消えていた。 共同なくせにいちいち金を取るシャワーのせいで残り少なくなった小銭をポケットの中で確認し、いつも歩きだす時はそうしているように、胸に手を当て、それから大きな道へ向かう。 心が無いという割に男の足取りはしっかりしていた。 1歩1歩、確実に歩みを進めて行く。 この1歩から何かが始まるかもしれない。 旅は始まったばかりだ。 そして、いつ終わるともしれない。 もう何年経っただろうか、いや、まだ数ヶ月なのだろうか。 彼には分からなかった。 どれもどうでも良かったのだ。 何故なら彼女の時間は止まっているのだ。 ならば彼の時間も進まない。 彼女の信号は彼の心臓の鼓動がわりだ。 常に心は一つだと決めたあの頃の誓いを、彼は忘れない。 今でも、ずっと。 そうして男は探し続ける。 眠れる彼女が目を覚ます合図を。 再び彼女と生きる為に。 必ず見つけてみせる。 今度こそ、男は声に出して呟いたかもしれない。 彼の一歩は、確実に前に進んでいた。 その度に男は、二人の未来に近づく。 そして旅は続く。 (「月光」おわり) |